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地域の歴史

  • [2024年3月24日]
  • ID:5034

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御嶽菅笠・青梅の街並み

青梅地区の歴史

古くは旧石器時代の生活の道具が現在の市立第一中学校から発見されており、以降、各時代の生活の痕跡が発掘調査などによって確認されています。

江戸時代になると新宿を起点とする青梅街道は、甲州往還道として、また関東一円に信仰があり関東地方の代表的な霊山である武蔵御嶽神社の参詣道として、さらには市内成木地区で採掘した石灰(いしばい)を江戸へ運搬する道路として発達しました。

地区内は、青梅街道の宿場であるほか、江戸時代から物資集散の二・七の市が立てられるといった近郷近在の中心として栄え、市が立てられたことから多くの商人が集まり、商店や旅籠が軒を並べていました。その様子は、武蔵御嶽神社参詣の道中が描かれている『御嶽菅笠』(天保5年(1834))や『武蔵名勝図会』(文政3年(1820)完成)などに見ることができます。

また、江戸時代初期から幕府代官の陣屋が置かれたり、明治時代から大正時代までは西多摩郡役所が置かれたりするなど、青梅地区は西多摩地域において中心的な役割を果たしてきました。

「青梅」の地名の由来

「青梅」の地名は、「将門誓いの梅」に由来しています。これは、平将門が一枝の梅に願をかけ植えたところ梅の実は熟せず青梅のまま落ちない梅の木となった、という平将門伝説に因ります。

天ヶ瀬町には、平将門伝説を持つ青梅山無量寿院金剛寺があり、境内では「将門誓いの梅」を見ることができます。

お問い合わせ

青梅市自治会連合会 第1支会(青梅市民センター)

電話: 0428-20-7150

ファクス: 0428-20-7152

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