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慶長16年(1611年)2月頃から吉野織部之介が八王子代官の許可を得て、新町地区の開拓開始。
東禅寺の草創、鈴法寺の開基等もこの時期に行われる。
元和2年(1616年)9月 村名を「新町村」とする。
新町村名主が住んでいた住宅(青梅市新町1丁目21番地の9)は幕末の頃(1850年頃)に
焼失したが、安政2年(1855年)3月に再建され、現在は「旧吉野家住宅」として
東京都の有形文化財となっている。
明治22年(1889年)市制、町村制の施行により、大門村、野上村、吹上村、塩船村、谷野村、
木野下村、今寺村、根ヶ布村、師岡村、今井村、藤橋村と新町村が合併し、
霞村となる。当時の西多摩郡は神奈川県。
明治26年(1893年)西多摩郡は東京府に編入される。
昭和18年(1943年)東京府から東京都になる。
昭和26年(1951年)霞村は青梅町、調布村と合併し、青梅市になる。
昭和30年(1955年)青梅市は三田村、小曾木村、成木村、吉野村と合併する。
昭和35年(1960年)青梅市自治会連合会が発足する。当時は、第3支会(大門地区)となる。
国の財政投融資により日本住宅公団が青梅羽村間、約50万坪の土地に
工業団地造成を決定。当時は1病院と10数戸の住宅以外は農地と平地林。
昭和39年(1964年)1月に土地区画整理事業事業認可。
(青梅福生都市計画青梅羽村土地区画整理事業)
昭和41年(1966年)西東京工業団地が完成し、当時の羽村町との区画が変更され、
新町の一部と羽村町の一部が末広町となる。
同年8月2日に町名地番の変更が行われ、末広町1丁目、末広町2丁目が新設される。
当時末広町1丁目は20世帯、末広町2丁目は0世帯。
昭和48年(1973年)青梅市立新町小学校が開校されたことを契機に第3支会から独立し、
第9支会となる。当時の新町末広町地区の人口は5,466人。
昭和60年(1985年)現在の第9支会の事務局がある新町市民センターが落成される。
平成10年(1998年)新町土地区画整理事業が完成する。
新町●番地という住所の表記から、新町○丁目△番地表記に切り替わる。
平成18年(2006年)町丁目に合わせて自治会整合化が行われる。
令和4年(2022年)第九支会創立50周年を記念して、式典を開催する。
参考資料 「青梅の自治会 創立50周年記念誌」青梅市自治会連合会発行
「創立五十周年記念誌 地域の絆」青梅市自治会連合会第九支会発行
「青梅都市計画事業 青梅東部新町土地区画整理事業 完成記念誌」
青梅東部新町土地区画整理事業発行
参考データ 第九支会創立五十周年記念式典講演「新町末広町地区50年の歩み」
青梅市自治会連合会 第9支会(新町市民センター)
電話: 0428-31-7337
ファクス: 0428-32-3674
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