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新町・末広町地区の歴史

  • [2024年3月29日]
  • ID:5092

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旧吉野家住宅

新町・末広町地区の歴史 江戸時代

慶長16年(1611年)2月頃から吉野織部之介が八王子代官の許可を得て、新町地区の開拓開始。

          東禅寺の草創、鈴法寺の開基等もこの時期に行われる。

元和2年(1616年)9月 村名を「新町村」とする。

 新町村名主が住んでいた住宅(青梅市新町1丁目21番地の9)は幕末の頃(1850年頃)に

焼失したが、安政2年(1855年)3月に再建され、現在は「旧吉野家住宅」として

東京都の有形文化財となっている。


明治時代から昭和30年まで

明治22年(1889年)市制、町村制の施行により、大門村、野上村、吹上村、塩船村、谷野村、

          木野下村、今寺村、根ヶ布村、師岡村、今井村、藤橋村と新町村が合併し、

          霞村となる。当時の西多摩郡は神奈川県。          

明治26年(1893年)西多摩郡は東京府に編入される。

昭和18年(1943年)東京府から東京都になる。

昭和26年(1951年)霞村は青梅町、調布村と合併し、青梅市になる。

昭和30年(1955年)青梅市は三田村、小曾木村、成木村、吉野村と合併する。

昭和30年代から現在まで

昭和35年(1960年)青梅市自治会連合会が発足する。当時は、第3支会(大門地区)となる。

          国の財政投融資により日本住宅公団が青梅羽村間、約50万坪の土地に

          工業団地造成を決定。当時は1病院と10数戸の住宅以外は農地と平地林。

昭和39年(1964年)1月に土地区画整理事業事業認可。

         (青梅福生都市計画青梅羽村土地区画整理事業)

昭和41年(1966年)西東京工業団地が完成し、当時の羽村町との区画が変更され、

          新町の一部と羽村町の一部が末広町となる。

          同年8月2日に町名地番の変更が行われ、末広町1丁目、末広町2丁目が新設される。

          当時末広町1丁目は20世帯、末広町2丁目は0世帯。

昭和48年(1973年)青梅市立新町小学校が開校されたことを契機に第3支会から独立し、

          第9支会となる。当時の新町末広町地区の人口は5,466人。

昭和60年(1985年)現在の第9支会の事務局がある新町市民センターが落成される。

平成10年(1998年)新町土地区画整理事業が完成する。

          新町●番地という住所の表記から、新町○丁目△番地表記に切り替わる。

平成18年(2006年)町丁目に合わせて自治会整合化が行われる。

令和4年(2022年)第九支会創立50周年を記念して、式典を開催する。

参考資料等

参考資料 「青梅の自治会 創立50周年記念誌」青梅市自治会連合会発行

     「創立五十周年記念誌 地域の絆」青梅市自治会連合会第九支会発行

     「青梅都市計画事業 青梅東部新町土地区画整理事業 完成記念誌」

      青梅東部新町土地区画整理事業発行

参考データ 第九支会創立五十周年記念式典講演「新町末広町地区50年の歩み」

お問い合わせ

青梅市自治会連合会 第9支会(新町市民センター)

電話: 0428-31-7337

ファクス: 0428-32-3674

電話番号のかけ間違いにご注意ください!